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【内田雅也の追球】ロマンと現実の1、2軍 - スポニチ Sponichi Annex 野球
トラ番と呼ばれる阪神担当に初めてなったのは1988(昭和63)年1月だった。ある日、キャンプ・メンバーの発表があった。当時は全員が高知の安芸市営球場で練習を行うのだが、宿舎が違った。1軍、2軍と分かれていた。
メンバー発表を行った監督・村山実は報道陣に向けて「1軍、2軍といった言い方はやめてくれるか」と言った。「キャンプの段階でまだ1軍も2軍も決まっていないんや。全員が競争なんや。ベテラン組と若手組と呼べばええやないか」ただ、ベテラン組にも、言ってもまだ経験の浅い若手もいた。違和感があった。実際、村山が「少年隊」と呼んでレギュラーに抜てきした和田豊(元監督、現ヘッドコーチ)、大野久、中野佐資はベテラン組にいた。翌89年のキャンプ前も同様に「1軍」「2軍」の呼称を使うのを「やめてくれ」と言った。宿舎にしていたホテル・タマイを「タマイ組」、手結山観光ホテルを「手結山組」と呼ぶように(書くように)言った。もちろん、取材する側としては、どうしてもキャンプから1、2軍と分けて見るし、選手たちの気持ちも同じだったと思う。それでも、純粋で直情型の村山は「キャンプは横一線のスタートで競争の場」と本気で考えていた(考えようとしていた)と思っている。それは投手という人種が持つ、ある種のロマン主義だろう。吉田義男や岡田彰布、真弓明信も監督当時、もちろん競争の場としながらも普通に「1軍」「2軍」と使っていた。現実派である。この日、阪神キャンプのメンバー振り分けが発表となった。練習する球場で「宜野座組」と「具志川組」に分けていた。今の監督・藤川球児も「1軍」「2軍」といった言い方はしない。だからキャンプ中に練習場所が変わる「入れ替え」という言葉にも敏感に反応した。「入れ替え、ではないですけど」と繰り返し話した。藤川もまた投手出身である。初めて具志川組スタートとなった梅野隆太郎、木浪聖也や岩崎優、岩貞祐太、大竹耕太郎、高橋遥人、湯浅京己、糸原健斗……らは確かに実績も十分で「2軍」ではないとわかる。藤川は「同じ沖縄にいて、宿舎は同じですから」と話した。これだと確かに1軍も2軍もない。藤川はロマンと現実両方をみているのだろう。=敬称略= (編集委員)