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【塚ちゃんの生涯一記者】山本由伸以上のフル回転、松岡弘さんは日本シリーズ2勝2SでMVPを取れなかった
松岡弘さん1月恒例のヤクルトOB総会が27日、開催された。丸山完二さん(86)、松井優典さん(75)、八重樫幸雄さん(74)、渡辺進さん(73)のヘッド、チーフコーチとしてチームを支えた名参謀がズラリ。V1戦士の若松勉さん(78)、松岡弘さん(78)も元気な姿をみせた。昨年の米ワールドシリーズでドジャースの山本由伸投手が3勝を挙げMVPを獲得。大きな話題を呼んだが、松岡さんは山本由伸以上のフル回転をみせている。1978年、阪急(現オリックス)との日本シリーズ第2戦で先発し、七回途中まで131球を投げ勝利投手。第4戦は中2日で九回を締めセーブ。第5戦は連投で七回途中から登板し、最後まで投げセーブ。そして、1時間19分の中断で球史に語り継がれている第7戦は、中2日で先発し7安打完封勝利で、球団創設29年目で初の日本一に導き、リーグ優勝に続き胴上げ投手になった。つまりシリーズ2勝2セーブで、すべての勝利に絡んでいる。それでもMVPは打率・310、4本塁打、10打点の大杉勝男さんに譲り、最優秀投手賞にとどまった。松岡さんに山本由伸の話を振ると「一緒にするなよ。向こうとはレベルが違うだろ」と一蹴されたが、松岡さんも、当時メジャー級(?)だった阪急の4連覇を阻止したのだから、やっぱりすごい。さらに、MVPについても「取れるわけないだろ。大杉さんのホームラン、打点の方がすごかったよ。MVPを取れなかった悔しい思いもないよ。俺は日本一になったことで満足だった」と振り返ったが、この欲のないところも松岡さんらしい。その松岡さんの性格を象徴しているのが通算191勝だろう。名球会入りまであと9勝と迫りながら85年で引退。以前、理由を聞くと「俺は力投派の投手だったから。小手先の投球をする松岡弘なんて、誰も見たくないだろ」と潔くユニホームを脱いだ。これまで何度か書いているが、191勝だけではなく41セーブもある。リリーフで91試合に投げている入団から6年間は、セーブの制度もなかった。OB会に参加した当時を知るOBは「あの頃は弱くて(今も弱いが…)。松岡さんが勝利投手の権利を持って交代すると、巨人には必ず逆転負けしていた。だから三原修監督は、リリーフの左投手に先発させて、三回ぐらいから松岡さんを最後まで投げさせたこともあった。あれがなければ200勝は超えていた」と教えてくれた。岡山の同郷で、甲子園出場を争った平松政次さん(78)が松岡さんの名球会入りを後押しし続けていたが、ぜひ実現させてもらいたい。話はそれるが、松岡さんに感謝していることがある。ヤクルト担当1年目だった1995年の3月下旬、私が書いた記事ではなかったのだが、野村克也監督から2カ月ほど口を利いてもらえなかった。5月16日、岡山で行われた阪神戦のこと。地元の試合で、松岡さんがきびだんごを持って、三塁側ベンチにいたノムさんを表敬訪問。するとノムさんが「おい、おまえも食べろ」と近くにいた私に差し出した。突然の出来事に戸惑い固まっていると、ノムさんに「なんや、きびだんご嫌いか?」といわれ、ありがたく頂いたが、もちろん味は覚えていない。もしかしたらノムさんも「そろそろ許してやるか」と機をうかがっていたのかもしれないが、きびだんごがなかったら、どうなっていたことかと今でも思う。現在の松岡さんは花巻東高の女子硬式野球部で投手コーチとして指導している。数字だけではないすごさがあったことを、多くの野球ファンに知ってもらいたい。■塚沢健太郎(つかざわ・けんたろう)1994年から記者生活をスタートし、デビュー戦は長嶋一茂退場、翌日はグラッデンvs中西親志大乱闘。野村ヤクルト、長嶋巨人、MLB、野村楽天などを担当。産経デジタル、夕刊フジを経て2025年2月からサンスポに8年ぶりに復帰。19年11月に「生涯一捕手」野村克也さんに公認された「生涯一記者」がコラムタイトル。自称ノムさんを一番取材した記者で「野村派は出世しないぞ」とボヤかれたとおりの人生を歩んでいる。