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【古豪巡礼】大阪で10度甲子園出場「公立の雄」八尾の今…部員大量入部、上位躍進のなぜ - スポニチ Sponichi Annex 野球
高校野球の連載「古豪巡礼」の第2回は、1895年(明28)創立の八尾(大阪)を特集する。府内で3番目に古い旧制中学・八尾中の系譜を継ぐ伝統校。甲子園大会には1952年夏の準優勝など春夏通算10度出場し、戦前は強豪校として名をはせていた。令和に入った現代でも昨秋大阪大会5回戦進出など府内屈指の公立校として君臨する。1915年創部から伝統を継承し、文武両道を実践する伝統校の今に迫る。(取材=河合 洋介)
活気が違う、とすぐに気付いた。「なるほど、この明るさも伝統が成せる力か」との考えが頭をよぎったが、そんな小難しい話ではない。単純明快、八尾は公立としては異例と言えるほどに部員が多いのだ。2年生は選手16人、マネジャー2人、1年生は選手26人の2学年44人で構成されている。長田貴史監督は「八尾で野球をやりたいと思って受験してくれる子が増えている」と理由を明かす。「同じような学力の高校の中では、野球のレベル的に競合するところが少ない。少しずつ結果も残り始め、学校近辺以外の中学生も来てくれるようになりました」。勉強も野球も頑張りたい中学生にとって、八尾が貴重な選択肢となっているのだ。大阪大や神戸大などに合格者を輩出する進学校で、硬式野球部は夏の大阪大会で18、21年に8強入りと戦績も安定している。大阪の公立は14年から学区制が撤廃されたことで、打倒・私学に憧れる野球経験者たちが府内全域から集まるようになった。主将の鈴木優大(2年)も「野球が一番の進学理由でした」と明かす。同校は昨年度の入試で定員割れしたことを考えれば、野球部の勢いは破格と言える。運動場は他の部活と共有し、平日の2日間は使えない。授業後の練習も2時間程度しか取れない。ただし、同監督は「私学とは技術だけでなく練習時間でも太刀打ちできない。だけど、それなら負けても仕方ないとはならない」と何かを諦めるつもりはない。練習内容は選手同士で考え、自主練習の時間も長い。鈴木主将も「自主性が問われている」と認めるように、考える力を養うことが打倒・私学の糸口になると考えているのだ。大量の部員を温かく見守るかのように、戦前からの伝統は今も息づいている。現部員も入る機会がないと言うOB会館の一室。そこに貴重な資料が保管されている。1949年大阪大会決勝の手書きのスコアブックや、52、59年の夏の大阪大会優勝旗、甲子園出場時の映像――。その資料の一つに87年発行「八尾高校野球部史」がある。その中に終戦直後の様子を振り返るOBの証言が記載されている。「戦時中に野球部は解散させられ、丸2年以上のブランクのあと、野球部が段々と形を作っていった訳です。(中略)その当時は食糧難時代に野球など、とんでもないことだと校長会の大勢を制していた。そのことを聞いた浜沢、安城(当時の部員)がふくれて学校に来なくなってしまった。八尾は野球をやらんとおさまりませんよ、となり、始めたわけだ」(一部編集)今年で創部116年目を迎えた。鈴木主将は「伝統校の主将は凄く責任感がある。だけど、野球をやる身としては物凄く嬉しく、ありがたいです」と背筋を伸ばす。同監督は「選手たちは、今があるのは先輩たちが頑張ってきてくれたおかげだとよく分かっている」と力説する。戦火を経ても「八尾は野球をやらないとおさまらない」と燃えたぎっていた情熱は、令和の部員にも宿っている。◇大阪府立八尾高等学校 1895年(明28)2月、大阪府若江郡八尾村に大阪府第三尋常中学校として創立。1901年に八尾中に改称。1948年に八尾高校となる。硬式野球部は1915年創部、甲子園には春夏通算10度出場。OBには巨人の永久欠番「4」を背負った黒沢俊夫がいる。