サンスポ
ミラノ・コルティナで五輪キャスター初挑戦 ヒロド歩美アナウンサーが阪神ナイン相手に鍛えた「マル秘」コミュニケーション術/芸能ショナイ業務話
ミラノ・コルティナで五輪初キャスターを務めるヒロド歩美アナウンサー熱戦が続いているミラノ・コルティナ冬季五輪。フリーアナウンサー、ヒロド歩美(34)は人生で初めて足を踏み入れた欧州の地でテレビ朝日系のキャスターとして走り回っている。振り返れば私が最初にヒロドアナウンサーと対面したのは2014年。当時、私は雑誌のスポーツ担当記者として頻繁に甲子園球場の阪神戦取材へ行っていた。彼女はほかの取材陣が固まる輪にも加わるが、何とか1人で選手や関係者に話を伺おうとしているのが明確に分かり、「ルーキーなのにすごいよな」と率直に思った。翌年から僚紙、夕刊フジに転職してトラ番記者を拝命したことで同じ取材者の立場で顔を合わせることが多くなった。人気球団ゆえ、他球団と比較すると選手の取材場所やタイミング、時間は少なくメディアの数も多い。おのずと単独取材できるかは知恵を絞り「競争」に勝てるか否かにかかっていた。当時は若虎よりも福留孝介さん(48)、鳥谷敬さん(44)らベテラン、中堅が主力の大半を占めていたが年上の選手とのコミュニケーションが妙にうまかった。1月17日発行のサンケイスポーツ紙面で掲載したインタビュー取材をしていたときにふと思い出したので「当時はどうやって向き合っていたの?」と本人に聞くと…「私のなかで福留さん、鳥谷さんが誰かと話している様子を目撃したときに、話すテンポや話題に挙げることをコッソリ調べて、次に会ったときに触れるようにしていました。今でも忘れないのは鳥谷さん。なかなか1対1で捕まえられなくて…気づいたらもうどっか行かれていました。自分のなかでの攻略法はどのメディアよりも早く甲子園球場の(クラブハウスからグラウンドへと向かう)連絡通路で待ち構えていた。ある日、奇跡的に会えてそこから(通過する)おおよその時間が分かったんです。まずはごあいさつだけでその場でグイグイ取材することはしなかった。2回目で『同じ早大卒なんです』って伝えて(その後取材を進めた)。能見篤史さん(46)も難しかった。人によって接し方を変えていましたが、いろいろと違うな~という難しさはありました。福留さんの場合は少し話をしてみたらそこから結構、話をしてくださった。単純に『一流ってすごいな』と思いましたよ。やっぱり、鳥谷さんや能見さんは多くを語らずも、自分の中でいろいろと考えて、なおかつグラウンドで結果を残す。一方で、言語化して結果を残す方もいらっしゃる。1年目からいろんな一流を見ることができたのは大きかったですね」強い目力があったことも思い出したので振ってみると、「取材相手から『見過ぎじゃないですか!?』とツッコミを入れられることもあります(笑)。『めちゃくちゃ見ますよね』と。インタビューする際もメモを見ず『会話をしましょ!』というスタンスを意識していますね」。ほかの媒体では出ていない話が聞けたらという目的もあると教えてくれた。テレビではあまり語らない、アグレッシブな子供時代の話もしてくれた。幼稚園のころは6歳上の実兄やその友人と遊ぶことが多く、「私が嫌な思いしたら相手をガブっと嚙みました。母は常に謝りに行ってしまった。幼稚園のフェンスをよじ登って脱走したこともありましたね…」。小学生のころには両親の勧めで脳トレーニングやヨットに通ったが…「脳トレは小学4年生のときに(地元の兵庫県)西宮北口へ。お母さんがチラシで見つけて『あなた、遊びに行ったら』と。塾に行かせるよりも、こっちの方が合うだろうと。おかげで今でも漢字が読めない…(笑)。勉強って感じではなかったんです。ところが通い始めると国語の成績が上がり(習っていた)ヨットの成績も改善された。集中力って大事なんだなと。その意識があるから、今でもアスリートの集中力についてとても話を伺う。取材をしていて、相手が集中して取り組んでいるときは絶対、近寄っちゃダメだという意識もしてます。『今は違うだろうな』と思って引くようにしました。ヨットはある日曜日のこと。父親に『西宮浜で教室があるから』と連れて行かれて。気づいたら入部していました。私、相当ヤバかった子なのかなと。両親が必死に『変えなきゃ』と思われていたのかな…」と懐かしんだ。今や「報道ステーション」のスポーツニュースを仕切るまでになったが新人アナウンサー時代も苦労も語ってくれた。「廊下ですれ違う人にひと絡みしていたのは本当です。番組でご一緒した方には(その後)絶対一度は絡みに行こうと。それが受け入れられた環境でした。エレベーターで『今の違ったかな…』『イジるんじゃなかったかな』って反省したり。今は制作スタッフとのコミュニケーションを大切にしています。よりよいものを出すのはスタッフと話し合って。私の意見の方がいいということもあれば、反対の場合もありますからね」とうなずいた。2025年2月にサンケイスポーツへ異動してはや1年。当欄で私が執筆するのは今回がラストになりました。取材でお世話になりました芸能、プロ野球関係の皆さまに心より感謝申し上げます。(山戸英州)