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【塚ちゃんの生涯一記者】野村ジャパンは72年ぶりの全敗 井端ジャパンは代表チーム最大の難題をクリア
2006年の日米野球で「全日本選抜」を指揮した楽天・野村監督(右)。左はMLB・ボウチー監督=2006年11月3日、東京ドーム第6回ワールド・ベースボールクラシック(WBC)へ向けた宮崎合宿の動画配信を見ていると「野球日本代表 国際試合成績」の表が映し出された。書かれていたのは1992年以降の五輪、WBC、プレミア12の監督と、4位までの順位。第1回WBCがあった2006年以降は8人の監督が並んでいたが、国際大会ではないものの、実は「野村ジャパン」があったことを覚えている人は少ない。当時は日米野球が2年に1度開催され、楽天監督だった野村克也さんが06年11月に「全日本選抜」を指揮。もっとも日本代表常設前で、各チームのユニホームで出場するオールスター方式だった。ドジャース・野茂英雄投手が出場し、空前のMLBオールスターが来日した1996年の日米野球でノムさんは6試合の指揮を執り1勝4敗1分け(選手は入れ替え制で第5戦はダイエー・王貞治監督、第7戦は横浜・大矢明彦監督)。06年は全5戦を託された。主催だった読売新聞社の巨人・瀧鼻卓雄オーナーから電話を受け「野村ですけど? どなたかと間違ってませんか?」と驚いたと明かしたが、巨人からの直々の要請にさすがにうれしそうだった。ところが厳しい現実に直面する。第1回WBCで王ジャパンがメンバーが揃わなかった以上に、野村ジャパンも大難航した。ファン投票で選出された松坂大輔(西武)、藤川球児(阪神)、新庄剛志(日本ハム)、福留孝介(中日)、岩村明憲(ヤクルト)、川崎宗徳、松中信彦(ソフトバンク)が辞退。この年は第1回のアジアシリーズがあり、日本ハム勢はそちらを優先したため、小笠原道大も3試合だけ。他にもダルビッシュ有、八木智哉(日本ハム)、斉藤和巳(ソフトバンク)が辞退し、打診の段階で多くの選手に断られたと聞いた。ベストメンバーとは程遠い戦力では、さすがのノムさんでも采配の振るいようがなく、井口資仁(ホワイトソックス)、城島健司(マリナーズ)、ライアン・ハワード、チェイス・アトリー(フィリーズ)、デビッド・ライト、ホセ・レイエス(メッツ)、アンドリュー・ジョーンズ(ブレーブス)ら超大物ばかりの全米に歯が立たず。5戦を戦い、ベーブ・ルースらが出場した1934年以来72年ぶりの全敗を喫してしまう。08年の北京五輪で星野ジャパンはメダルも取れず。09年WBCの監督選びが暗礁に乗り上げると、ノムさんは就任に意欲をみせたものの、紆余曲折の末に原辰徳監督(巨人)が就任した。この結果にノムさんはボヤきまくっていたが、06年日米野球のように辞退者続出、全敗で敗退なんてことがあったら目も当てられないだけに、賢明な判断だったと思える。