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【内田雅也の追球】「ヌンチ」の洞察的投球 - スポニチ Sponichi Annex 野球
懐かしい柳賢振(リュ・ヒョンジン)が投げていた。2008年北京五輪で金メダルに輝いた韓国代表の若きエースだった。今も「りゅ」で変換すればフルネームに送りがなも出てくる。
大リーグ・ドジャース、ブルージェイズで活躍し、一昨年、古巣のハンファに帰った。韓米通算195勝の左腕である。今月39歳になる。背番号は昔も今も「99」だが投球は技巧派に変身していた。直球は140キロそこそこ。緩いカーブやスライダー、チェンジアップと緩急を巧みに使った。6、7回と2イニングを無失点。前川右京は直球に刺され、小野寺暖は内角球に詰まり、小幡竜平は当てただけ。阪神の打者はまともにスイングをさせてもらえなかった。タイミングである。「バッティングはタイミングだ。ピッチングはいかにタイミングを狂わせるかだ」。大リーグで左腕最多の通算363勝をあげたウォーレン・スパーン(ブレーブスなど)の名言がある。多彩な球種を操った。さらに、相手打者の心理を読む術がある。中川勇斗は2ボールからファウルを続けて打たされ、チェンジアップで泳がされた。打ち気にはやる心を見透かされていた。韓国語に「ヌンチ」という言葉がある。「他人の気持ちをひそかにくみとる、こまやかな心づかい」だとエラ・フランシス・サンダースの『翻訳できない世界のことば』(創元社)で知った。原作・村上春樹の映画『ドライブ・マイ・カー』の劇中劇は、韓国、台湾、フィリピンなど数カ国から集まり、全員が母国語でセリフを言う。相手は言葉ではなく、感情を読み取って演じる。韓国の女優は聴覚障害があり、聞けるが話せず、手話を使う。「自分の言葉が伝わらないのは私にとって普通のことです。でも、見ることも聞くこともできます。時には言葉よりたくさんのことを理解できます」当欄で何度か書いたが藤本義一の「カンコウスイドウ」である。観察から入り考察、推察、そして洞察に至るわけだ。それは9回表に今春実戦初登板した岩崎優にも言える。無死一、二塁を招いても無失点でしのぐと見ていた。自身はピンチでもチャンスでの打者心理を読み切ったかのように凡飛と連続三振で切り抜けた。これも見事な「ヌンチ」の洞察的投球であった。 =敬称略=(編集委員)