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【馬淵史郎 我が道13】高知商・藤川球児との名勝負 97年夏の決勝が忘れられない - スポニチ Sponichi Annex 野球
3年間のブランクを経て、守りではどこにも負けないという明徳義塾のスタイルが出来上がった。守りで崩れなかったら、どんなに相手が強くても勝負はできる。それが自信にもつながる。1996年(平8)に春夏とも甲子園出場を決めると、翌年も春選抜に出た。そのころに高知商のエースとなったのが藤川球児(現阪神監督)だった。
明徳義塾にとって高知商は甲子園に行くための最大のライバル。高知商に勝たない限り、全国には行けない。コーチ時代にはなかなか勝てなかった。特に甲子園が懸かると、高知商の粘り強さに屈した。どうすれば、この関門を突破できるか。練習もいろいろ考えて取り組んだ。ライバルがいたからこそ、明徳義塾もレベルアップができたと思う。97年夏の高知大会決勝は、中でも忘れられない名勝負だったな。明徳義塾の先発は2年生左腕の寺本四郎(元ロッテ)。高知商も3回から2年生だった藤川を登板させ、ともにスコアボードに0が並んだ。息詰まるという表現が当てはまる投手戦だった。藤川の球はスピードもあったが、球が打者の手元で伸びる。ホップする球筋が強く印象に残った。試合序盤は明徳義塾がチャンスをつくったが、藤川が出てきてからは完璧に抑え込まれた。寺本も一歩も引かない投球だった。7回まで1安打で、三塁も踏ませなかった。だが、勝負は終盤に動いた。兄弟バッテリーを組んでいた兄の藤川順一が8回に寺本の直球を左翼スタンドに叩き込んだ。一球の怖さ、本塁打の威力を感じさせる展開だった。均衡が破れて、9回の攻撃で寺本に打席が回ってきた。「インコースには来ん。踏み込んで打ってこい」とハッパをかけた。指示通りに踏み込んで狙って打った打球は右翼ポール際に飛んだ。「やりよった。同点や」と思った瞬間、相手の右翼がフェンス際でジャンピングキャッチ。寺本が17三振、藤川が16三振を奪った試合は0―1で負けた。真っ先に考えたのは翌年のことだった。藤川はまだ2年。来年も高知商にいる。ホップする直球を打てんかったら、甲子園には行けない。新チームでは藤川球攻略のための150キロ打ちに明け暮れた。この藤川対策が翌98年の打倒・松坂大輔にもつながっていく。話はちょっと脱線するけど、死闘を演じたからこそ、通じ合うものがある。藤川とは明徳義塾と高知商というライバル関係を超えた付き合いが今も続いている。高知に戻ってきたときに会ったり、こっちが甲子園に出場したときには、陣中見舞いの差し入れを届けてくれる。会ったときには高知の野球、日本の野球の将来とかを話し合う。阪神監督就任1年目でのリーグ優勝はうれしかった。運を持っている男だし、今年どんな野球をするかも楽しみにしている。◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。