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【馬淵史郎 我が道14】「明日、松坂は投げない」に残念という思いが… - スポニチ Sponichi Annex 野球
松坂大輔(本紙評論家)の投球を初めて見たのは1998年(平10)の選抜大会前の甲子園練習だった。明徳義塾の前が横浜の練習でな。一塁側のブルペンでの投球練習を、真横でネット越しに見て「これはええピッチャーや。凄いのがおるな」と感心した。特に印象に残ったのは彼のスライダーだった。
春は準々決勝でPL学園に1点差の逆転負け。勝っていたら横浜戦だった。高知では藤川球児(阪神監督)、そして全国では松坂を打たないと勝ち進むことはできない。「松坂を打てんかったら優勝はできんぞ。県内には藤川もいる」とミーティングでも活を入れて、150キロ打ちの練習にも、また熱が入った。明徳義塾にも左腕の寺本四郎(元ロッテ)がいたから、勝負は十分できると思っていた。藤川だけでなく、高知には土居龍太郎(元横浜、ロッテ)もいた。松坂世代といわれるように、各地に好投手がいた。この年は徹底的にバットを振らせた。速い球に負けないスイングを身につけることが、ベスト8やベスト4の壁を破ることにつながる。必死の練習がやっぱり生きてくることになる。夏の高知大会。高知商が準決勝で高知に負けて、藤川との再戦は実現しなかったが、決勝では土居に土をつけた。接戦だったが、8回に同点に追いつくと、延長11回に5番の谷口和弥がサヨナラ本塁打。「よっしゃ、甲子園で松坂と対戦するまで負けんぞ」と気合を入れて乗り込んだ。甲子園では初戦の桐生第一(群馬)に延長10回サヨナラ勝ちすると、金足農(秋田)、日南学園(宮崎)を下して勝ち進んだ。そして準々決勝。8月20日の第1試合が横浜とPL学園の熱戦だった。明徳義塾は第2試合で関大第一(北大阪)との対戦で甲子園の室内で待機。だが、前の試合が終わらない。延長17回の死闘。ずっとモニターで試合の展開を追っていた。「どっちが勝つのか」も気になったが、この長い試合が明徳義塾の試合にどう影響するのかも考えていた。終わりが見えない試合。となると試合の入りが難しくなる。明徳義塾は第2試合で先攻ということが決まっていた。関大第一のエース久保康友(元ロッテ、阪神、DeNA)もいい投手だったが、この待機の中で調整は簡単じゃない。何度も何度もブルペンで最終調整をする姿が浮かんだ。「この延長戦はうちにプラスや。見とってみい。初回に点が取れる」と選手に伝え、気持ちを高めた。松坂は延長17回250球を一人で投げ抜き、横浜が勝利。明徳義塾も予想通りに久保の立ち上がりを攻略した。6番の松元政樹の3ランなどで初回に4点を挙げ、11―2でベスト4を決めた。思惑通りの流れになったが、試合後に「明日、松坂は投げない」という話を聞いた。残念という思いが先立った。◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。