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【馬淵史郎 我が道15】横浜戦6点リード 言ってしまった余計なひと言「ええか。横浜は…」 - スポニチ Sponichi Annex 野球
渡辺元智監督が率いる横浜との準決勝は1998年(平10)8月21日に行われた。甲子園は大観衆で埋まっていた。準々決勝のPL学園戦で延長17回を投げ抜いた松坂大輔(本紙評論家)は「4番・左翼」でのスタメン。右腕にテーピングをしたままだった。
「甲子園で松坂を打つために猛練習をしてきたのにな」とガッカリする気持ちもあったが、エースが投げないとなれば、明徳義塾の勝機はグッと高くなる。先制して、左腕エース寺本四郎(元ロッテ)でリードを死守すれば、決勝に近づくと思っていた。先発した袴塚健次くん、2番手の斉藤弘樹くんという2人の2年生投手に対して、明徳義塾のペースで試合が進んだ。4回に9番の倉繁一成の右前打で先制すると、5回には1番の藤本敏也のソロ本塁打、5番の谷口和弥の2ランが飛び出した。2本とも左翼・松坂の頭上を越えた。8回2死二塁では藤本が左翼に三塁打。夏の甲子園では史上4人目となるサイクル安打を藤本が達成し、8回表が終了した時点で6―0でリードした。サイクル安打まで飛び出して、6点差。あとアウト6つで試合が決まる。勝てると思うよな。寺本も7回まで3安打しか許してなかった。もらったと思っても不思議じゃない。でも、最後まで引き締めないといけない。そう思った。だから言ってしまった。「ええか。横浜はこのままでは終わらんぞ。このまま終わると思うなよ」8回の守りの前の円陣で、こう言った。あとから考えたら、余計なひと言だった。横浜は強い、横浜は何をしてくるか分からん。選手にそんな心理をさせてしまった。甲子園のスタンドも前日の延長17回の疲労が残る横浜を応援する雰囲気になっていた。しかも横浜のブルペンでは松坂が投球練習を開始した。6点差から試合は動いた。8回の横浜の攻撃、先頭打者の遊ゴロを明徳義塾がエラーして出塁させると、3番の後藤武敏(元西武、DeNA)と松坂が連続タイムリー。この流れではあかん、と寺本から高橋一正(元ヤクルト)にスイッチしたが、暴投と代打タイムリーで4点を失った。この継投も監督として失敗だった。高橋に肩も気持ちもしっかり準備させとくべきだったのに、そこが徹底できていなかった。高橋は6点差ついたところで「出番はないな」と思ったらしい。交代の時の投球練習も抜けた球ばっかりやった。これも自分の責任だ。6―0が6―4となって、ついに9回。横浜のブルペンで松坂が右腕のテーピングを外して、マウンドに向かった。甲子園の大歓声が松坂を後押ししていた。やっぱり役者が違うと思ったね。千両役者や。言わんでもよかった余計なひと言、そして継投でのミスをこっちは引きずったままで最終回を迎えた。◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。