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【馬淵史郎 我が道17】松坂登場…雰囲気にのまれた 監督なのにハマってしもうた - スポニチ Sponichi Annex 野球
高校野球というのは、ちょっとしたことで流れが変わる。満員の甲子園という日常にない舞台だと、高校生の心理は大きく揺れ動く。98年(平10)8月21日の横浜との準決勝。6点差をつけた時点での「横浜はこのままでは終わらんぞ」という選手への一言が、相手への過大なイメージを植え付けてしまった。
8回にエラーも絡んで4点を失い、9回には大歓声を背にして松坂大輔(本紙評論家)が登板。前日のPL学園戦で延長17回、250球を投げたエースが、右腕のテーピングを外して、連投のマウンドに現れた。さすがの千両役者ぶりだったな。松坂が9回に明徳義塾を0点に抑えると、甲子園は横浜一色。横浜の攻撃の一球一打に拍手が湧いた。監督としても2点差があっても、ないようなものだと感じていた。横浜の攻撃は右前打と三塁線へのバント安打で無死一、二塁。2番・松本勉くんのバントは捕手の前に転がり「しめた!」と思ったら、三塁への送球ミス。犠打野選で無死満塁になった。ここで迷ったよ。2点差で無死満塁。前進守備をさせるかどうか。「同点にされたら、負けや。ここは一点もやれん」と決断した。3番の後藤武敏(元西武、DeNA)の打球は遊撃方向で少しイレギュラーして、中前に抜ける2点打になった。雰囲気にのまれていた。監督なのにハマってしもうたな。1点やってもええという気持ちの余裕がなかった。定位置で守っていたら、併殺にできていたかもしれん。同点になって、松坂はきっちり送りバントで1死二、三塁。このへんの横浜はさすがよ。小山良男(元中日)を敬遠しての1死満塁。寺本四郎(元ロッテ)を再びマウンドに送ったが、2回戦の金足農(秋田)戦で右足首をひねって、じん帯を痛めていた左腕に、この流れを食い止める役目は酷だった。柴武志くんを詰まらせた打球も、二塁後方に落ちた。6点差をつけながらのサヨナラ負けだった。9回の松坂に「さすがやな」と感心させられた投球があった。先頭打者を三振に仕留めた後、明徳義塾の4番に入っていた寺本との勝負。松坂は状況をしっかり理解していた。無理をせずに、寺本に四球を与えて、5番を併殺に仕留めた。15球で無失点。PL学園戦で250球を投げて、少しでも球数は少なくしたいところ。それでも一発長打の可能性がある相手の4番に対して無理はしない。怪物と言われた男がそこまで徹底する。そこが横浜の強さ。念には念を入れないと全国制覇はできん。負けたのは悔しかったが、大事なことを教えてもらった。それにしても6点差をつけたところでの「ええか。横浜はこのままでは終わらんぞ」というのは言うべきじゃなかった。監督が選手を余計に緊張させてしもうた。「よし、いけるで」と背中を押してやれば良かった。言葉は難しいよ。◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。