スポニチ
【メジャーリーガーたちのセンバツ】法政二・村上雅則 柴田勲先輩の温存デビュー翌年…試合なき聖地帰還 - スポニチ Sponichi Annex 野球
いよいよ19日に甲子園で第98回選抜高等学校野球大会が開幕する。1964年、サンフランシスコ・ジャイアンツで村上雅則投手がMLBデビューしてから62年。多くの日本人選手が海を渡り活躍しているが、その村上投手をはじめドジャース・大谷翔平選手(31)ら多くのメジャーリーガーたちは早春の甲子園を経験。世界の舞台へ羽ばたいていった。「メジャーリーガーたちのセンバツ」と題して、センバツの舞台から大リーグに挑んだ選手たちを振り返る。(構成 浅古正則)※MLB所属球団はメジャー選手登録されたチームのみ記載。
■村上雅則(法政二=神奈川)MLBジャイアンツ1961年センバツの主役は前年夏の覇者・法政二のエース柴田勲(元巨人)だった。柴田は初戦、北海(北海道)を相手に1失点完投と危なげない滑り出し。準々決勝は浪商(現大体大浪商)の怪童・尾崎行雄(元東映=現日本ハム)との“再戦”だった。事実上の決勝戦といわれた大一番。法政二は浪商に先行されたものの逆転勝ちした。準決勝の平安(現龍谷大平安)戦は8回表までに10―1と大量リード。エース柴田は右翼へ回り、マウンドに立ったのは新2年生の左腕・村上雅則だった。村上は前年秋の関東大会神奈川県予選から柴田の控えとして台頭していた。「2番手の私は(秋季大会の)コールド勝ちできそうな試合に先発した。球が速かったし、カーブも投げられた。まだ制球が悪く、三振か四球というタイプだったが、エースの柴田さんの負担を少し軽くすることはできたと思う」(村上氏=スポニチ「我が道」より引用)。県予選に続き、茨城県で行われた関東大会にも優勝しセンバツに乗り込んできた。悲願の聖地デビューは3安打を許しながら2イニングを無失点。無難に初の甲子園登板を終えた。決勝戦は柴田が高松商(香川)を5安打完封。史上3校目となる夏春連覇を成し遂げた。グラウンドで迎えた歓喜の瞬間。アルプススタンドにいた前年の夏とは格段に違う感激が村上の全身を駆け抜けた。この年の夏は左手首骨折のため神奈川大会から不出場に終わった。同年秋の新チームで村上はエースナンバーを背負い副主将となった。春連覇を目指したが、秋季神奈川県大会準決勝で慶応に敗退。夢ははかなく散った。翌1962年のセンバツ開会式。関根主将とともに優勝旗と優勝杯の返還のため甲子園へ。悔しく、寂しい聖地への帰還だった。◆1962年南海(現ソフトバンク)~64、65年サンフランシスコ・ジャイアンツ~66年南海~75年阪神~76~82年日本ハム。