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【内田雅也の追球】好守示した「E」ランプ - スポニチ Sponichi Annex 野球
あれは阪神遊撃手・小幡竜平の守備範囲の広さを示すプレーだった。8回裏の守り。1死から中前へ抜けようかというゴロに左腕を伸ばして追いつき、反転して――つまり回転せず――無理な体勢から一塁に投げた。
送球は右翼側にそれて一塁はセーフ。電光板に「E」ランプがともった。記録は失策(悪送球)だった。正直に書けば、「H」(安打)とみていた。何も判定への抗議ではない。公式記録員の方々がいかに集中して試合を凝視し、神経をすり減らしているかを知る。「記録員として一試合あたり支払われる六五ドルの日当は、苦しみへの代償である」という大リーグ記録員の話が伊東一雄・馬立勝の名著『野球は言葉のスポーツ』(中公新書)にある。1990年の話で今はもっと高給だろう。NPB記録員の報酬も知らない。ただし、試合に欠かせない彼らには敬意を払い、取材活動をしている。この失策判定について中継の解説者が「失礼ながら」と前置きして話していた。打者走者の足が遅いため、普通なら悠々セーフの当たりだが、一塁上を見れば、いい送球ならアウトだったので失策にしたのではないか。そうかもしれない。そして「よく追いつきましたね」とたたえていた。そして、小幡はこの直後、見事な美技を演じた。同じく中前に抜けようかというゴロを横っ跳びで好捕し、6―4―3の併殺を完成させたのだ。守備のミスを打撃で取り返す「バウンスバック」は時にあるが、守備でやり返すとは驚いた。広い守備範囲を連続で証明したわけだ。今では失策数や守備率は守備の巧拙を計る指標になりえないというのが定説だ。難しい打球に追いついてはじいたり、送球が乱れれば失策で、追いつけずに抜ければ安打なのだ。今ではUZRやDRS……など守備の指標があるが、現場のコーチの感覚が一番だろう。吉田義男が新人だった1953(昭和28)年2月の鹿児島・鴨池キャンプ。臨時コーチで名ノッカーの岡田源三郎が監督・松木謙治郎に正遊撃手の白坂長栄と「左右一間(1・81メートル)は違う」と守備範囲を伝えた。松木は「当たり前だ」と答えたが吉田の方が広いと聞いて驚いたそうだ。キャンプからの遊撃手争いは終盤戦。コーチや監督は判断の時を迎えている。 =敬称略= (編集委員)