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【馬淵史郎 我が道19】追い込まれていた常総学院戦 予感あった 森岡主将の決勝弾 - スポニチ Sponichi Annex 野球
02年(平14)夏の甲子園3回戦。木内幸男監督率いる常総学院(茨城)との試合は、8回表を終わって、4―6とリードを許していた。自分たちのミスから失点する嫌な展開だった。試合巧者ぶりを発揮され、苦しい状況に追い込まれていた。
4回から7回まで明徳義塾は飯島秀明くんの緩急をつけた投球に、3人で攻撃を終わる流れになっていた。8回も2人が打ち取られ、2死無走者。1番・山田裕貴も三ゴロ。だが、ここで悪送球により、ランナーが残った。打席には2番の沖田浩之。8回の左翼の守りで、無理に打球に飛び込み後逸。2点を失うミスをしていた。それでも気持ちを切り替えていたな。大したもんだった。山田の足を相手も警戒する中、飯島くんの内角球をフルスイング。右翼ポール際への打球は、甲子園の浜風にも負けなかった。同点2ラン。秋の新チーム発足の時には控えだった2年生が、甲子園で公式戦初本塁打。野球ってのは本当に分からん。そう思ったね。土壇場で同点にして、3番が主将の森岡良介(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)。スカウトからも注目される中、主将としての責任感もあって、甲子園では打撃を崩していた。力んでいたな。この打席まで12打数2安打。調子が上がらず「お前が打たな、勝てんのや」と前夜も宿舎で振り込ませていた。森岡が打ってこそ、勝てる。そう思っていた。同点2ランを受けて、森岡が打席に向かう後ろ姿を見て「こいつが決めてくれる」と予感がした。打席に向かうルートが花道にも見えたな。雰囲気があった。そして初球ストレート。左打席で右足を下ろした瞬間、行ったと思った。甲子園の右翼中段への特大の一発。森岡も「あんな打球は打ったことがない」と言っていたな。98年(平10)の夏の準決勝で松坂大輔(本紙評論家)の横浜に逆転負けした試合を、森岡はスタンドから見ていて「明徳で野球をしたい」と大阪から高知の山奥で野球漬けになることを選んだ。その男がチームのピンチを救ってくれた。連続本塁打で逆転勝利。まるで野球の神様が後ろから風を吹かせてくれたようにも見えたな。競った試合で、神様を味方につけたような試合ができたら強い。優勝のためには、そんな試合が必要。02年の明徳義塾にとっては、この常総学院戦がポイントだった。選抜以降、チームは公式戦、練習試合でも負け知らずだった。宿舎に戻って、ミーティングでハッパをかけた。「これで55連勝や。あと3つや」。森岡を中心にメンバーたちも目を光らせていた。甲子園に来るまで、このチームにはノックをめちゃくちゃやってきた。厳しい練習を乗り越えたからこそ、見えてくるものがある。強くなったと思っていた。◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。