日刊スポーツ
「日本の野球は負けてない」と言い切った山田久志 日の丸背負う投手に課した宿題とは/寺尾で候
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。◇ ◇ ◇プロ野球が開幕を迎えるというのに、世間では侍ジャパンの話題でかまびすしい。どの論調もふに落ちない。「あぁでもない、こうでもない」といまだにモヤモヤしている。米国の、米国による、米国のための大会。季節外れの“花相撲”は、日本を準決勝で下したベネズエラが頂点に。それでも「日本は負けてなかったよ」と言い切ったのは、名伯楽の山田久志だ。「日本はパワーで負けていたか? 日本の野球は負けてないよ。アメリカにも、ベネズエラにも、パワーで負けているとは思わなかった。打ち負けた試合って、1試合でもあったか? 大谷も、吉田、鈴木、村上も打った。少なくとも対等か、それ以上と感じたね」山田は名門・阪急ブレーブスで、梶本隆夫、米田哲也、足立光宏ら名投手の系譜を引き継いだ。12年連続開幕投手の絶対的エースに君臨、史上初の3年連続MVPに輝くなど、通算284勝を挙げた史上最強のサブマリンだった。現場で教える側に回ると、名監督の仰木彬が率いたオリックス投手コーチとして日本一に導く。ピッチャーを見極める眼力と指導力、特に継投の妙に定評のある指導者として手腕を発揮した。その間、イチローが打って、ダルビッシュが守護神を演じた09年WBC大会にも貢献。監督・原辰徳のもと投手担当だった山田は「ピッチャーで攻める」と信念を貫いて世界一に上り詰めた。選手にとって「いいコーチ」というのは、自分を使ってくれるコーチにほかならない。選手生活を終えた後、現場に出て監督、コーチの立場で苦渋を味わって初めて「使う側」「使われる側」の機微に触れる。09年の第6回大会を振り返るといまだに感心するが、見事な継投を繰り出して勝ち上がっている。準決勝の米国戦は、5回2死一、二塁の場面で、松坂大輔(レッドソックス)から杉内俊哉にスイッチを決断した。韓国との決勝戦も、岩隈久志(楽天)が1点差に迫られ、なおも8回2死一塁になると、またも杉内を投入して逃げ切った。巨人エースの杉内にとっては慣れない中継ぎだったはずが、実際はリリーフした5試合を無失点で切り抜ける。計9試合を戦い抜いた侍ジャパンの防御率は1・71。そこに山田の勝つための“非情”が秘められている。「日本はリリーフの専門職を欠いたのが響いた。でもパワー野球といわれるベネズエラ、アメリカの打線には“穴”があった。ちょっとやれば抑えることができたが、そこを抑えきれなかった。ベネズエラ戦に関していえば、山本はよく2点で抑えたが、あんなに逆球が目立った投球はあまり見たことがない。向こうに行って2年が経つし、当然メジャーに合わせた調整をしているだろうから、WBCにベストを持っていくのは難しかっただろう」勝負のあやを語り合った山田は「ベネズエラは日本を研究していた。日本は圧倒的にフォーク、スプリットで勝負してくると読んで、それを見極めた。それで苦しくなってストレートを打たれた」と分析した。ストレートを狙われたという見方は間違いではない。だが山田は勝負球の落ちる球を見捨てられた結果と逆説的な考えを示したのだ。そして百戦錬磨で“継投の魔術師”がつむいだメッセージは、これから日の丸を背負う投手族に宿題を課したかのようだった。「今の日本のピッチャーはフォーク、チェンジアップが主流。それは間違いとは言えない。でも米国、ベネズエラは違った。世界の潮流は、シンカー、ツーシーム、カット、スライダー、スイーパー…。向こうの投手は、それがどの球も球速150キロを超える。速いストレート系の変化球でゴロを打たせる。日本では150キロのストレートを投げる投手はたくさん出てきた。でも150キロ以上の変化球を投げるピッチャーはいない。速く、強く。そこはこれからのテーマじゃないか」山田が「もう一点」と言い足したのはルールのことだ。「ピッチャーはけん制もしたかっただろうが出来なかった。日本も世界のルールを受け入れていかないと、独自のルールでとどまっていると、ますます苦戦する。NPBも、選手会も反対していては後退していくだろう」。中日監督として、二遊間コンビの荒木雅博、井端弘和の「アラ・イバ」誕生の育ての親。別れ際の山田は「いろいろあったと察するが、井端はよくやりきった」とねぎらった。レジェンドの熱論は尽きず、いつの間にか日がどっぷりと暮れていった。(敬称略)