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【馬淵史郎 我が道26】大阪桐蔭にもう一度勝ちたい 甲子園での対戦成績は1勝2敗 - スポニチ Sponichi Annex 野球
甲子園でもう一度対戦してみたい。強く思っている相手が大阪桐蔭だ。明徳義塾は甲子園での対戦成績が1勝2敗。負け越したままでは終わりたくない。
大阪桐蔭とは12年(平24)から夏の甲子園で3年連続対戦をした。12年は準決勝で0―4。13年は3回戦で5―1で勝利。そして14年は2回戦で当たり、3―5で敗れた。12年は藤浪晋太郎(現DeNA)に対して2安打零敗。記録の上では完敗だったが、大会前の招待試合では4―1で勝ったこともあっただけに、打てない投手ではなかったという記憶が残る。対戦した歴代の投手ではNo・1は松坂大輔(本紙評論家)という自分の評価は揺るがない。強い相手と対戦する時には、相手チームとその中のキーマンにいかにプレッシャーをかけ続けられるかが試合の分かれ目になる。13年の勝利はその好例だ。大阪桐蔭のキーマンは森友哉(現オリックス)。捕手でもある森に守りでも攻撃でもプレッシャーをかけていったら、相手はガチガチになるとにらんでいた。初回のチャンスに三盗に失敗した森は、2回1死二、三塁でリードが大きかった三塁走者を刺そうとして、悪送球のミスで明徳義塾は同点。さらに2死一、三塁から9番の岩見昂が勝ち越しの2点三塁打を打った。大阪桐蔭も油断していた。9番で高知大会での打率も0割ということで、外野は思い切り前に出ていた。でも、0割でもバントなどをしっかりできる能力があるから、岩見はレギュラーになっていた。ここが盲点になった。森に対しては岸潤一郎(現西武)がしっかり内角を攻めた。チームとしても打球方向を分析して、一、二塁間を狭め、二塁を深く守らせた。8回2死二塁での打球も痛烈だったが、結果は二ゴロ。相手にツイてないと思わせることも野球では大事になってくる。大阪桐蔭の西谷浩一監督のスカウティングに懸ける熱意は多くの人が知っている。いい選手がいると聞けば、どこにでも姿を見せるという評判だ。ただ、その影響もある。多くの学校が負けじと選手集めの競争に参加しているが、入るまでが勝負ではなく、入ってから育てることが高校野球の目指す姿だと思う。「明徳義塾も同じ野球学校」と思われるかもしれない。確かに全寮制で全国から生徒を受け入れているが、中学生の獲得競争には長く参加していない。高知の山奥の学校だ。明徳義塾で野球をしたいという思いがなかったら、環境的には3年持たない。保護者や親戚、先輩からの縁で入学する例が実は多いのだ。西谷監督は甲子園での勝利数、優勝回数でも歴代トップ。彼にしか分からない苦労もあるはず。だからこそ、高校野球のこれからのリーダーとして、大阪桐蔭が目指す野球はこれだ、というものをどんどん見せてほしい。多くの球児たちのお手本になる野球を期待している。◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。