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【センバツ】大阪桐蔭・西谷浩一監督が貫いた「日本一」 アマ野球担当・河合洋介記者が名将の横顔に迫る - スポニチ Sponichi Annex 野球
大阪桐蔭が22年以来4年ぶり、歴代最多タイ5度目となる春の頂点に立った。その裏側には、歴代最多の春夏通算75勝を数えた西谷浩一監督(56)が抱えた葛藤や苦悩があった。エリート集団と評されることに対するもどかしさ、「日本一」を口癖とする理由…。アマチュア野球担当・河合洋介記者が迫った。
大阪桐蔭は勝ちすぎたのかもしれない。前回優勝の22年選抜を境に、西谷監督は風当たりの変化を肌で感じ取っていた。「優勝以外は“桐蔭は弱くなった”と言われると思います」。圧勝に次ぐ圧勝で達成した前回優勝を経て、世間から「エリート集団」のイメージが定着した。その印象が、もどかしかった。「あの年は力のある学年ではなかった。彼らは努力で優勝にたどり着いたんです。その過程が伝わらなくて…」。負ければ騒がれるうち、気づけばネット記事は見なくなった。風向きが変わっても、取材には「目標は日本一」と発信し続けた。慎重に言葉を選ぶ指揮官が、この目標だけは隠さずにきた。「甲子園にも出られないのに、口にするのは恥ずかしいですよ。それでもあえて言うんです」日本一が口癖となった分岐点がある。中田翔を擁した07年夏の大阪大会で敗れ、新チームも秋季大会でPL学園にコールド負け。当時のエース・福島由登が、この敗戦からの変化を証言する。「西谷先生は、あの秋から日本一と日常的に口にするようになったと思います」。言霊も力にすべく、意図的に発言するようになった。そして翌08年夏に、自身初の日本一をかなえた。日本一に立った14年夏の主将だった中村誠コーチは、当時の西谷監督との会話を忘れない。「俺は日本一を諦めない。なりたいのではない。なるんや」。初めて主将と副主将、監督で作った「幹部ノート」の表紙には「日本一になるために」と監督が力強く記した。そして「10度目の優勝が目標」と宣言して臨んだ今大会。昨冬に痛めた膝の治療で1~2週間の通院を勧められても「選抜への競争が始まっているのに離れられない」と断った。個の力は突出していない今年のチームを「ラグビーのように全員で下からスクラムを組もう」と鍛えた。エリート集団ではない。優勝にふさわしい努力で、王座を奪還した。