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【内田雅也の追球】聞いていた甲子園の声 - スポニチ Sponichi Annex 野球
相手のミスに乗じるというのは強いチームなのかもしれない。優勝する2023年、オールスター明けに連勝また連勝をしていたころ、当時監督(現球団顧問)・岡田彰布は「こっちは普通にやっているだけよ。相手が勝手に転んでくれるんよ」と話していた。
今季も相手が勝手に転ぶという展開が多い。甲子園開幕戦は相手の4失策をすべて得点にからめ、差を広げていった。4回裏の同点は二塁手のトンネルだった。正面のゴロだが、確かに最後のバウンドは跳ねずに沈んでいた。勝ち越しにつながる5回裏の左飛落球は強めの六甲おろし(北風)が吹いていた。それが甲子園である。阪神ファンだった作詞家・阿久悠の小説『球心蔵』(河出文庫)に<やはり野球は自然の中でやるのがいい、雨や風が神になったり悪魔になったりするのがいい>というくだりがある。この夜の甲子園の土や風は、ヤクルトにとっては悪魔だった。ただし、ドーム球場や人工芝のグラウンドばかりのいま、自然のなかでプレーできる甲子園は難しいからこそ、醍醐味(だいごみ)があると言える。阪神の選手たちはその日の風、土、芝、気温、湿度……に気を配るのが習慣になっている。映画『あん』(監督・河瀬直美)は桜の下の小さなどら焼き店が舞台だった。見事な粒あんをつくる女性(樹木希林)の手紙が出てくる。<この世にあるものは全て言葉を持っていると私は信じています。日差しや風に対してでさえ、耳をすますことができるのではないかと思うのです>。長く甲子園でプレーしていると、土や風の言葉を聞けるのかもしれない。相手のミスでもらった好機を逃さなかった。今が攻める時という甲子園の声を聞いていたのだ。奪った9点のうち8点は2死からあげた。1―1の5回裏は1死二、三塁から中野拓夢が犠飛を上げ、さらに森下翔太2ラン、3連打で得点を重ねた。6回裏は2死から2四球と敵失の満塁から佐藤輝明が2点打した。8回裏の佐藤輝1号2ランも2死からだった。だから試合後、監督・藤川球児も「つながりを見せてくれた」とたたえた。言い古された「野球は2死から」を思う。守る側は油断の戒め、攻める側にはあきらめない心を伝える警句だ。不屈の姿勢と集中力があったわけである。 =敬称略=(編集委員)