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【ベテラン記者コラム(831)】奪三振記録「知らなかった」阪神・才木と…「知っていた」巨人・篠塚の伝説の一発
ヤクルトで好投した阪神先発・才木浩人=7日、甲子園球場阪神・才木浩人投手が4月7日のヤクルト戦(甲子園)でセ・リーグ記録に並ぶ16奪三振の好投を披露した。被安打5、3失点(自責点2)で勝利投手になったが、記録更新には挑まず、8回105球で降板したことが話題になった。九回も続投してあと1つ三振を奪えばセ・リーグ新記録、3者三振だったら野田浩司、佐々木朗希のプロ野球記録「1試合19奪三振」に並べた。ところが、才木はヒーローインタビューで「なんも知らなかった」と笑い、降板させた藤川球児監督も「僕も知らなかった。才木には申し訳ない」と謝っていた。本当のところはわからないが、奪三振ショーはとにかく話題になる。当然、紙面にはセ・リーグ記録16奪三振の達成者の表が掲載される。金田正一、江夏豊、外木場義郎、桑田真澄らそうそうたる名前が並び、ほとんどの投手が完封勝利を飾っているが、ひときわ異彩を放つのが、16三振を奪いながら敗戦投手になったただ一人の存在。伊藤智仁だ。1993年6月9日、金沢市の石川県立野球場で行われた巨人-ヤクルトの一戦は、三振の山を築いていたルーキーの伊藤智仁を一撃で沈めた篠塚和典のサヨナラ本塁打が語り草となっている。このとき、ヤクルトの野村克也監督と伊藤は奪三振記録がかかっていたことを「知らなかった」。ただ、捕手の古田敦也は「知っていた」。それだけに試合後のベンチでは、篠塚への配球について野村監督から古田へのお説教が長々と続いたという。それでは、打った篠塚はどうだったか。答えは「知っていた」。昨日のことのように思い出を話してくれた。「ジャイアンツはみんな知ってたよ。地方球場だったから、ベンチのすぐ横の通路にテレビ中継が映っているモニターが置いてあって、インタビューするアナウンサーが見ていたんだ。うちのスコアラーなんかも近くにいるわけだから、そりゃあ知らないわけないよ。あれだけ三振していたら、打撃コーチだって気にするし。選手同士で話していたわけではないけど、八回が終わって15三振だ、あと1個でセ・リーグ記録だ、という雰囲気になっていたね」驚異的に曲がる高速スライダーを武器に鮮烈なデビューを果たしていた伊藤は、この試合が巨人戦初登板だった。巨人も新人の門奈哲寛が好投し、両軍無得点のまま進行。先発を外れていた篠塚は九回表の2死から「9番・二塁」で途中出場していた。その裏、1死から8番の吉原孝介が三振して、ついにセ・リーグ記録に並んだ。当時のプロ野球記録は野茂英雄(近鉄)の17奪三振だったから、これにもあと1となっていた。「俺は三振だけはしないようにと思って打席に入っていた」篠塚は奪三振記録のことを「知っていた」からこそ、不名誉な新記録だけは避けようと、ギンギンに意識していたわけだ。首位打者2度のベテランは「早く投げたい、ストライクとりたい、というのがわかった」と伊藤の心理を看破。打席を2回外して間をとった後、初球の真ん中高めにきた真っすぐをとらえ、右翼席へほうり込んだ。スコア1-0。150球を投げ、16三振を奪いながら敗戦投手になった伊藤はマウンドに両膝から崩れ落ち、グラブをたたきつけて悔しがった。「伊藤の評判のスライダーを見ようと思っていたら、真っすぐが来たから反応しちゃった。もし、スライダーが来てたら振ってないよ。初対戦の投手の初球をホームランにするなんて、あの一本だけだね」篠塚にとっては、セ・リーグ新記録を阻止し、ひと振りでチームを勝利に導く一発となった。ヤクルトの野村監督は「もし、記録を知っていたらなぁ」と、このときの配球を後年までボヤいていたそうである。(牧慈)