サンスポ
岡本伊三美さん、球史を変えた野村克也さんへのひと言
岡本伊三美さん南海(現ソフトバンク)の二塁手として1953年にパ・リーグMVPを受賞した、元近鉄監督の岡本伊三美さんが15日に肺炎のため95歳で亡くなっていたことがいたことが20日、明らかになった。同じ京都出身の4歳下で、2020年に逝去した野村克也さんへの一言が、球史を変えたといってもいい。野村さんは入団4年目の57年、30本塁打を放ち、初のキングを獲得。打率3割(・302)もクリアした。ところが、58、59年は21本塁打。打率も・253、・263と低迷。何よりカーブに苦戦し、「カーブを打てないノ・ム・ラ!」とやじられることしばしば。打てないカーブを意識すれば、真っすぐに差し込まれる。苦しんでいる野村に、岡本さんが「おい野村、殴ったほうは忘れてても、殴られたほうは忘れてないぞ!」と声をかけた。「打った方は有頂天で、なぜ打てたかも特に考えない。でも打たれた投手は悔しがり対策を講じてくる。その投手を研究しなければ、打ち続けることはできない」打席で、打った時と同じ待ちかたをしても、二度と同じ配球、同じタイミングで投げてはくれない。そこで査定担当の尾張久次さんに配球の資料を作ってもらった。配球の癖、投球時の癖などを分析し、60年に29本塁打を記録して復活。翌61年から8年連続本塁打王。球界を代表する打者となり、監督として「シンキングベースボール」「ID野球」につながることになる。そんな野村さんも称賛していたのが、岡本さんの守備。「一塁・飯田徳治さん、二塁・岡本伊三美さん、三塁・蔭山和夫さん、遊撃・木塚忠夫さんの守備は『100万ドルの内野陣』と呼ばれ、シートノックだけでも銭が取れた。それを楽しみにして見に来るお客さんもたくさんいた。惚れ惚れする守備だった」と振り返っていたが、球界に多大な功績を残した。