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【駒田徳広 我が道21】移籍してきたばかりのような孤立感を味わった93年 きっかけは… - スポニチ Sponichi Annex 野球
巨人にいながら移籍してきたばかりのような孤立感を味わったのは1993年(平5)だ。藤田元司さんに代わって長嶋茂雄さんが監督復帰。オープン戦は75打数24安打、打率・320と順調だった。
環境が変わったのを感じたのは3月下旬、オープン戦終盤の北関東シリーズだった。水戸から宇都宮へのバス移動。今のような高速道路がなく、一般道を通るから時間がかかる。トイレ休憩でバスを降りた時、新任打撃コーチの中畑清さんに「コマ、明日休みだからな」と言われた。ちょっと待って。開幕が近づいているし、相手は強い西武。モチベーションを上げるためにも出たい。「出してくださいよ」「ダメだ」の押し問答を、中畑さんは強い口調で切った。「俺の言葉はミスター(長嶋監督)の言葉なんだ。俺に逆らうってことはミスターに逆らうってことなんだ」そう言われたら、もう口が利けなくなる。そのやりとりを聞いていたヘッドコーチの須藤豊さんが「お前、仙腸関節が悪いんだろ。じゃあ明日は治療に充てろ。いいから」と言ってくださった。実際に骨盤の後ろあたりを痛めていた。お言葉に甘えて翌日は試合前に軽く練習し、ベンチで応援。あらかじめ須藤さんに許可をもらって5回終了後はトレーナー室に行き、スライディングパンツ一丁で置きバリとお灸(きゅう)をしてもらっていた。そこへ7回、バッテリーコーチの山倉和博さんが来て「代打だ」と言う。西武の投手は鹿取義隆さん。長嶋さんが「代打・駒田」とコールしたらしい。慌ててユニホームを着て出ていって、初球か2球目を打ってセカンドゴロに終わった。なぜ打撃コーチじゃなく、バッテリーコーチが言いに来たのか。不信感がどんどん積み重なっていった。相手バッテリーとの駆け引きもあって初球を打ち気なく見逃すと「それやめろ。やる気なくすから」。初球、スライダーなどの中間球の間の取り方で待つと「真っすぐを待たなきゃダメだろ」。規制や締め付けが増えてやりにくかった。藤田さんや松原誠さんは私の性格を考え、うまくおだてながら育ててくださった。高圧的に言われると反発するタイプ。中畑さんが長嶋さんの一番弟子として一生懸命やられているのを、青い私は理解できなかった。気分が上がらず開幕から打率1割台が続く不振。中畑さんの「明日結果が出なかったらもう使わない」というコメントが新聞に載り「だったら今日から外してください」とかみついたこともある。5月22日の阪神戦(甲子園)。宿舎出発前のミーティングでスタメンを外れるのを知った。途中出場もなく、連続フルイニング出場は307試合、連続試合出場は450試合でストップした。◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。