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【駒田徳広 我が道22】「ジャイアンツを出るだけの勇気と覚悟はあるか?」に「覚悟はしてます」と即答 - スポニチ Sponichi Annex 野球
広島3連戦が全て雨で流れて帰京した翌朝、8月20日付のスポーツ紙に「中畑コーチ“駒田放出”発言」という見出しの記事が掲載された。
「このままではオフには取り返しがつかないことになる」中畑さんが広島で報道陣に話した言葉が“放出”と受け取られたのだ。この日、ジャイアンツ球場で行われた練習が始まる前、監督の長嶋茂雄さんは全員を集めてこう話された。「キヨシに言っといた。まだ戦っているこの時期にそんな話をするんじゃない。早すぎる。でも、みんな聞いてくれ。トレードはあるぞ」みんなに「出て行く時はお別れ会、盛大にやってあげるからね」と言われた。冗談には聞こえなかった。オフにはプロ野球にFA制度が導入される。選手会とプロ野球機構側の交渉に、当時選手会長だった原辰徳さんに付いて球団の選手会役員として行っている。最初はできっこないと思っていた制度が誕生し、自分が使うことになるなんて1%も思ってなかった。だが、私の放出説と、中日の落合博満さんがFAで巨人に来るという噂がまことしやかに流れるようになって、FAが身近なものに感じられるようになっていった。その決断をするにあたっては長嶋さんと一度話をさせていただきたい。公式戦残り数試合になった時点でマネジャーを通じてお願いしたが、「シーズン中は話はしない」という返事。10月21日の最終戦、中日戦(ナゴヤ球場)でもお願いしたが、断られた。ならば直接当たるしかない。1週間後の28日、ジャイアンツ球場で始まった秋季練習初日だった。ウオーミングアップ中、右中間フェンス際を歩いていた長嶋さんに走って近づいた。「いろいろお話聞かせていただけませんか?」とお願いしたら「何も話すことはない。カメラマンに写真撮られるから近寄らないで」と言われた。その夜、初めて藤田元司さんに電話して「僕、どうすればいいですか」と相談させてもらった。すると藤田さんは「売り言葉に買い言葉みたいな話はするんじゃないぞ」と言って、40分か1時間後に折り返しの電話をくれた。「ちょっと調べたら、お前はFAしなかったらトレードになる。一番心配しているのはトレードがダメになってジャイアンツに残った時のお前のモチベーションだ。下手すると現役が終わってしまう。ジャイアンツを出るだけの勇気と覚悟はあるか?」私は「覚悟はしてます」と即答した。「じゃあ出ろ」。11月2日にFA宣言通知書を投函(とうかん)。4日に公示され、ありがたいことにセ・パ5球団からお話をいただいた。藤田さんにはこう言われた。「アキのところへ行け」第2次藤田政権をヘッドコーチとして支えた近藤昭仁さんは横浜(現DeNA)の監督をされていた。◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。