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【駒田徳広 我が道25】巨人で体験した「効果」を予感した98年の38年ぶり優勝 - スポニチ Sponichi Annex 野球
締め付けられていた状態をちょっと緩めると、爆発的な力が生まれることがある。権藤博さんが監督になられた1998年(平10)、9年前に巨人で体験した「効果」を予感した。
厳しさを前面に押し出した王貞治さんから藤田元司さんへの監督交代。少し緩めてもらって優勝し、近鉄との日本シリーズも3連敗4連勝で制した。長嶋茂雄さんから藤田さんに代わった81年も同じような流れで日本一になっている。厳しくしてくれた大矢明彦さんから前年バッテリーチーフコーチだった権藤さん。継投はお手のものだが、攻撃面ではサインを出さない。全て選手に任せてくれた。打順もほぼ固定。1番から石井琢朗(現巨人2軍監督)、波留敏夫(現オリックスヘッドコーチ)、鈴木尚典(現DeNA2軍打撃育成コーチ兼巡回打撃育成コーチ補佐)、ロバート・ローズと来て5番の私までまず動かさなかった。5月末の時点では22勝19敗で3位。6月16日から8連勝して首位に立ち、球宴を挟んだ10連勝で勢いを加速した。7月12日の中日戦(帯広)は9回に6点差を追いついて9―9の引き分けに持ち込み、同15日の巨人戦(横浜)は0―7から逆転し、13―12のサヨナラ勝ち。神懸かった試合が多かった。この年、選手会長の琢朗に頼まれてキャプテンの肩書をつけた。球団認定じゃないから「C」マークはないし、余計なことを言ってチームがいい方向に行くとは思わない。ミーティングで琢朗に「最後に駒田さん、何かありますか?」と振られた時だけ話をした。私は権藤さんに感化されたのか、巨人時代の「くだらんミスをしたら負ける」という考えから「くだらんミスを気にするチームが負ける」という考えに変わっていた。お盆明けの東京ドーム。カード負け越しが続いた時に、こんな話をした。「優勝する自信ある?正直言おうか。俺はないよ。なきゃどうするか。思い切ってやりゃあいいんだよ。負けたら来年また頑張りゃいいんだ。これだけやれたんだから、またチャンスはあるよ」レギュラーで優勝経験者は私だけ。巨人時代の話はしたくなかったが、こう続けた。「俺、83年に初めて優勝した時は21歳。超若手だ。87、89、90年は中堅。ベテランになって優勝したことは一回もない。だから分か疲れもあって8月いっぱいは苦戦が続いたが、9月に入って生き返った。2度の5連勝。V軌道に乗って10月8日の阪神戦(甲子園)。4―3で勝ち、38年ぶりの優勝が決まった。ホッとした。琢朗たちが泣いている。もらい泣きしそうになった。良かった。みんな一生懸命頑張ったもんなあ。うれしかった。◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。