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【塚ちゃんの生涯一記者】巨人・橋上監督代行の素顔 現役引退後4年間はゴルフショップの店長だった!
5月26日のソフトバンク戦から指揮を執ることになった巨人・橋上秀樹監督代行。その経歴がすごい!巨人・阿部慎之助前監督(47)の辞任は衝撃のニュースだったが、橋上秀樹オフェンスチーフコーチ(60)が監督代行になったことにも驚いた。歴代の巨人の監督は、生え抜きスター選手が務め、橋上さんは巨人でプレー経験がないばかりか、一時球界から離れていたのだから、他球団の監督を見渡してもまずない経歴だ。橋上さんは人当たりがよく、頭の回転が速く、とにかく頭が切れる。例えば「何か面白い話ない?」と言われても、答えられる人はあまりいない。しかし、私が駆け出し記者で野村ヤクルト担当だった頃、ネタに困ったときに何度も助けてもらった。オイシックス監督時代の橋上監督代行(2024年3月1日撮影)日本ハムを経て、2000年には野村阪神でプレーし、その年限りで現役を引退。その後、4年間も球界から離れていたことは、あまり知られていない。01年、ゴルフ担当だった私は、兵庫の大会の際に、阪神監督の野村克也さんに甲子園まで会いに行き、帰りにヘッドコーチだった松井優典さんの車に乗せてもらうと「あれ、橋上の店や」と甲子園筋のゴルフショップで店長をやっていることを教えてもらった。翌日、さっそく店を訪れると「いらっしゃいませ」と笑顔の橋上店長がいた。メッツに移籍したばかりの新庄剛志Tシャツなどもちゃっかり置かれ、感心したことを覚えている。ヤクルト選手時代の橋上監督代行。現役時代に巨人でのプレー経験はない(1992年5月4日撮影)10年前、西武のコーチになった橋上さんに当時の話を聞くと「接客業をやった経験が今に生きていると思う。もしも楽天ができていなかったら、もうユニホームを着なかったかもしれないし、どこで何をやっていたかわからない。今頃はプロゴルファーになって、シニアツアーに出ていたかもしれないね」としみじみと語っていた。05年に楽天が誕生すると、その松井さんからの要請でコーチに就任。06年から野村監督を支えたが、09年に一緒に楽天を去り、11年にBC新潟(現オイシックス)の監督を務め、12年に巨人からコーチで招かれた。勝手に橋上さんに救われたこともある。00年に以前の会社で左遷された際に、ノムさんから「一生懸命やっていれば、必ず誰かが見ている。俺はそう思ってやってきた」と慰められ、その言葉を励みにやってきたが、今度は11年に夕刊フジから産経デジタルに出向になった。もう新聞記者ではない。「ここで一生懸命やって、誰が見てるんだよ」と腐りかけたところ、巨人のコーチになった橋上さんを、ノムさんが訪ねる番組がやっていた。「おまえ、ジャイアンツとは縁もゆかりもないんだろ?」「はい、まったくありません」「やっぱり俺が言ってることが当たってるんだよ。おまえが一生懸命仕事してたのを、ジャイアンツの誰かが見ていたんだよ」。このとき私は、荒井幸雄さんのようにノムさんから「ちゃんとやれ!!」と頭を引っぱたかれた気がした。