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【駒田徳広 我が道29】四国・高知でラミレスと石井 関われたことを誇りに思っている - スポニチ Sponichi Annex 野球
引退後、アストロズから「キャンプに来ないか?」というお誘いがあった。オーストラリアの球団からも話があったが、39歳になる年に海外で苦労する気にはなれなかった。
2001年(平13)、ニッポン放送の解説者としてネット裏の生活をスタート。02年からはテレビ東京の解説もやらせていただき、球場で権藤博さんとよく一緒になった。00年には代打を出されて猛反発したが、権藤さんも前年限りで横浜(現DeNA)を退団。怒りは氷解し、継投の考え方などを教わって私の野球観は大きく変わった。あの一件については、会うたびに謝っている。05年には新規参入した楽天の打撃コーチ。ヘッドコーチの山下大輔さんに呼んでもらった。寄せ集めのチームに打撃コーチは新前の私一人。5月から山下さんとともに2軍へ配置転換され、1年で退団した。09年には大矢明彦さんに声をかけてもらい、横浜の打撃コーチになった。1次政権の97年、熱くチームを2位に引き上げた大矢さんでも手に負えないチーム状態。これも1年で終わった。その後は第17回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表チームのコーチや常磐大の臨時コーチをさせてもらい、16年から4年間は独立リーグ、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスの監督を仰せつかった。総監督の江本孟紀さんからの要請。人に頼まれて断るのは好きじゃないから、お受けした。メジャー通算555本塁打のマニー・ラミレスがやって来た2年目の17年前期はぶっちぎり優勝と思っていたら、終盤に8連敗。勝った経験のない選手は優勝が懸かった時に駄目になるというのを思い知った。17勝13敗4分けで2位。ラミレスは日産GT―Rが好きで、パーツを探して奈良県まで車を走らせるなど日本を楽しんでいた。1年で帰っていったが、一生懸命やってくれた。18年も19年も前期は2位に入りながら、優勝は一度もできなかった。怒ってばかりで、もっと穏やかにできなかったかという反省がある。NPBに送った唯一の選手は阪神の石井大智。17年11月に広島県福山市で行ったトライアウトに参加してくれた。137キロくらいの球を投げ、やる気がある。秋田高専出身で頭もいい。合格にした。指導はダイエー(現ソフトバンク)などで通算81勝の投手コーチ、吉田豊彦に全て任せた。1年で150キロくらい出すようになり、「巨人に行きたい」と言うから19年秋の入団テストに連れていったら不合格。制球やボールの精度が上がった20年、阪神からドラフト8位指名を受けた。今年は左アキレス腱断裂で離脱しているが、昨年は絶対的なセットアッパーとして50試合連続無失点のプロ野球新記録を達成。こんな選手に関われたことを誇りに思っている。◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。