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【駒田徳広 我が道30】「オアシス」になれたらいいな 理想は山内一弘さんや中西太さん - スポニチ Sponichi Annex 野球
2021年(令3)秋、巨人で3度目の監督を務められていた原辰徳さんから3軍監督のお話を頂いた。私はFAで自分から巨人を出ている。二度とそのユニホームを着ることはないだろうと思っていた。こんな自分を戻せる人は原さんしかいない。ありがたかった。
3軍は育成の場。独立リーグ、四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス監督時代に怒りすぎた反省がある。空気みたいな存在で、間抜けでいいと思っていた。「こんなの仕事じゃないんだよ。プロってのはね、お客さんに来てもらってマスコミにも注目してもらって、収益を生むんだよ。我々は球団の経費を使ってるだけ。プロじゃない。だから一生懸命興味を持ってやってほしい。遊びの延長で夢中になれるような状況を自分でつくったら、うまくなっていくよ」そんな話をしてやる気を促しながら、鍛えるべきところは鍛える。グラウンドを10周走らせて選手が苦しそうにしていたら「しんどいか?」「ヤバいです」「そうか。じゃあ、ちょっと減らすように言っとくわ」。そう話しておいて、トレーニングコーチには「これくらいでいいよ」と耳打ちした。プロと言えるのは2軍から。3軍はプロじゃない。ただし同じユニホームを着ているのだからプライドは持たせなきゃいけない。田舎に帰って「ジャイアンツOBです」と胸を張れるような人間になってほしい。人としてどうかと思うことがあれば、ちゃんと叱った。やりがいのある仕事を昨年まで4年もやらせていただき、本当に感謝している。ただ、これが巨人の育成システムというものをつくり切れないうちに終わってしまったのは悔いが残る。苦い経験がある。91年の秋季キャンプに来てくださった東海大の田中誠一教授に教わった最新の科学的トレーニングを取り入れて、92年にはキャリアハイの27本塁打をマーク。そのオフ、体制が変わり、新しい首脳陣にそのトレーニングを否定されたのだ。監督が代わるたびに育成方針がフラフラするようじゃチームは強くなっていかない。今どき、練習の量か質かでもめていたら笑われるよ。さて、今後の私に何ができるか。チーム運営なんて無理だから、やっぱり選手のお手伝いがしたい。利き腕、利き足、利き目によってバットを振る時の運動軸、支点は十人十色。筋力や打球速度などを数値化するラボと一緒になって、個々に合った打ち方を探せたらいいな。理想はかつての山内一弘さんや中西太さんのように教わる選手がホッとできる、オアシスのような存在。「じいさん、何か言ってるな」と思われるような乗りで助言できたらいいと思っている。=終わり=(構成・永瀬 郷太郎)◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。