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【内田雅也の追球】劇弾・内紛70年に思う - スポニチ Sponichi Annex 野球
「ミスタータイガース」藤村富美男が劇的な代打逆転満塁サヨナラ本塁打を放ったのはちょうど70年前のこの日、1956(昭和31)年6月24日だった。甲子園での広島戦。0―1の9回裏、2死満塁となって、監督兼任の藤村は三塁コーチボックスから代打として打席に向かった。
長谷川良平の1―1後のカーブを左翼席へ運んだ。8月で40歳を迎える藤村の通算224本目、最後の本塁打だった。巨人と優勝争いを演じていたシーズンだが、チーム内では内紛の火だねがくすぶっていた。「優勝なんかさすかい、と言っている選手があるということが、私の耳に入った」と藤村自身が明かしている=『戦後プロ野球史再発掘』(恒文社)=。「いいところは自分ばかり」「選手にはボロカス」というワンマンぶりへの不満だという。火だねはオフの「藤村排斥運動」で燃えさかった。主将・金田正泰ら主力選手が連判状「藤村監督退陣要求書」をオーナー・野田誠三(本社社長)に提出。騒動は年末まで50日間に及んだ。連判状は代々、球団内で保管され、昨年12月、明るみになった。負の歴史だが、「史実に学ぶ」(球団社長・粟井一夫)と、甲子園歴史館での公開に踏み切った。いち早く見学に訪れた監督・藤川球児は「本気だった、必死だったということでしょう」と話した。「歴史を語り継ぐ役目は今は自分しかいない」と気を引き締めた。藤村劇弾は日曜日のデーゲームだが観衆わずか1万3千。藤村が「常にファンのためにやっていた」という必死さが分かる。今や「お家騒動」も鳴りをひそめ、先の阪急阪神ホールディングス株主総会でも株主から球団への質問は穏やかだった。ただし、気を緩めれば「暗黒時代」はやって来る。一寸先は闇の世界なのだ。球団本部長・嶌村聡もよく口にする。批評家・小林秀雄は『考えるヒント』(文春文庫)で福沢諭吉の言説をもとに<過渡期とは言葉ではない>とし<過渡期でない歴史はない>と断じた。先行きが見えない不安というのは、どの時代も本質的には同じように不確実で困難を抱えているわけである。連覇に挑む今の阪神もまた不安のなかにいる。新たな歴史をつくりだそうとする気概がいる。藤村が好んだ言葉で言えば「斗魂(とうこん)」や「気魄(きはく)」である。 =敬称略=(編集委員)