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ソフトバンク・中村晃 涙の引退会見で語ったファン、仲間、家族への感謝「柳田さん、今宮いたから…」 - スポニチ Sponichi Annex 野球
ソフトバンクの中村晃内野手(36)が3日、みずほペイペイドームで記者会見に臨み、今季限りでの現役引退を表明した。ホークス一筋19年。通算1520安打の打撃職人は熟考の末に決断を下した。会見では家族への感謝の思いを語り涙を浮かべる場面も。長年ともにチームを支えてきた柳田らから花束を渡された。会見後には2軍戦に出場。常勝チームを支えてきた背番号7は残りシーズンも1軍の戦力を目指して戦う。
家族への深い感謝を口にすると中村晃は目に涙を浮かべた。「結果が出なくても家に帰った時は明るく接してくれていた。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」夫人、国指定の難病「乳児てんかん性スパズム症候群」で闘病していることを公表した長男とは「常に3人で一緒に戦っているという思いでやってきた」。試合には必ず3人で撮った写真を見てから向かってきた。それでも引退の決断は一人で下した。「それが野球に対しても、自分に対しても、最大の敬意かなと思った」。幼少期から没頭してきた野球へのけじめだった。昨年11月に腰の手術を受け、リハビリを経て今季の開幕に間に合わせたが、23試合出場で打率・129と不振に苦しんだ。引退を決断したのは代打で凡打した6月4日の中日戦の試合後だった。「だめだったら辞めないといけないということは2、3年ずっと思っていた」。同8日に小久保監督に「お腹いっぱいやりました」と報告。翌9日に出場選手登録を抹消された際には、ともに常勝チームを築いた柳田と今宮に決意を伝えた。「柳田さん、健太(今宮)は球団から期待され、それに応えた素晴らしい選手。僕は道のないところから自分の道をつくっていったと思っている。若い時は2人に嫉妬することもあった。でも2人がいたからこそ自分も成長できた。ここまでやってこられた」いかに周囲より多く練習するかを考え、黙々と打撃技術を磨いてきた。14年に最多安打を獲得し、昨年8月には通算1500安打を達成した。現役時代にともに自主トレを行った小久保監督は「1500本も打つ選手になるとは思いもしなかった。レギュラーもきついと思った。でも、目標を設定してブレない強さがあった」と努力の男を称えた。その上で「まだお疲れさまではない。現場としては代打の切り札として、優勝のピースとして考えている」と期待した。中村晃は会見後、2軍戦が行われるタマスタ筑後へ向かった。阪神戦の9回に代打で出場し、巧みな左前打を放った。「結果を残して1軍に呼んでもらえるように」。ホークス一筋のバットマンはリーグ3連覇のために最後まで戦い抜くつもりだ。 (木下 大一)◇中村 晃(なかむら・あきら)1989年(平元)11月5日生まれ、埼玉県出身の36歳。帝京では3度甲子園に出場し3年選抜は4強。07年高校生ドラフト3巡目でソフトバンク入団。14年に最多安打、20~23年は一塁でゴールデングラブ賞を受賞。昨年8月26日の楽天戦では通算1500安打を達成した。1メートル75、81キロ。左投げ左打ち。▼ソフトバンク柳田 (若手時代)寮の時から野球だけじゃなくて、たくさん一緒にいたので寂しい気持ちが強いです。本人が悔いなく決めたことだと思うので、本当に長い間お疲れさまという気持ちです。ここから晃が状態を上げて1軍で試合に出ることもあると思いますし、残り少ない打席だと思うので、お互いかみしめてやりたいなと思います。▼帝京前田三夫前監督 昨日、電話がありました。2000本安打まで頑張ってもらいたいなと思っていたので〝まだできる〟と言ったんですが、新旧交代が進んでいて〝自分で決めました〟と話してました。でも、彼らしく、よくやってくれたと思います。ここ一番に強い選手。彼の勝負強さは、私の50年間の指導歴の中でも際立っていた。入学当初は食が細くてね、大きいタッパーを買って〝これにお母さんにいっぱいご飯を入れてもらってこい〟と渡して。聞いたら、そのタッパーが〝まだ残ってます〟と言ってました。甲子園で彼らしくない打撃をしたとき〝そんなスイングで次に打てなかったら代えるぞ〟って怒ったら、次の打席で長打を打った。お前のことを聞かれたら「いぶし銀」って表現するぞと言ってるんですけど、持って生まれた勝負強さをプロでも発揮して、本当に楽しませてもらいました。今はよく頑張ったなと言いたいと思います。